今日の朝日新聞の夕刊「ニッポン人脈記 お殿様はいま」に、昔同じ職場におられた会津の殿様の末裔である松平保定さんが、家紋と横並びで、写られた写真が大きく出ていて懐かしくおもった。
いつも、「ほていさん、ほていさん」と呼ばれていたので、この朝日の記事で「もりさだ」と読むのをはじめて知った。
殿様の末裔となると、ちょっと緊張するものだが、松平保定さんは、まさに、飄々として、気さくで、時に洒脱な面も持ち合わせていたかたであった。
ただ、普通、われわれは、転勤を余儀なくされるものであるが、この松平さんに限って、東京以外の勤務地は経験されなかったのではなかろうか。(間違っていたらごめんなさい。)
職場の旅行も、松平さんの顔で、軽井沢の万平ホテルなんぞを予約できたなど、われわれも、おかげさまで、いい思いができた面も多くある。
奥様は、駿河沼津藩水野家のお嬢様。
この松平さんが司馬遼太郎さんに対して、司馬さんの「王城の護衛者」という書において、松平容保についての正しい歴史記述をされたことへのお礼の電話があったということは、司馬さんの文章の中にかかれている。
松平家から嫁がれた秩父宮妃殿下から頼まれてのお礼の電話、とある。
いかにも、律儀な松平さんらしい話だが、このエピソードについては、今日の朝日新聞では書かれていないのは、残念。
まあ、こうしてみると、麻生家、鳩山家いずれも名門なのだろうが、政界の名門も、所詮は、殿様には、かなわないもんだな、なんてつくづく思う。