今朝の中川昭一先生の突然のご訃報には、びっくりしました。
ちょうど一週間前に、この私のブログ記事「絶滅危惧雑誌に中川昭一先生再起待望論」で、雑誌に掲載された寺島靖国さんの再起論をご紹介申し上げ、私も、一緒に再起を願っていたのですが、わずか一週間もたたないうちに、このようなことになってしまい、言葉もないくらいです。
願わくば、私のブログ記事が、このわずか一週間の間に、中川先生のお目に留まって、いくばくかの再起への勇気を中川先生に与えることができていたなら、と、思うばかりです。
今朝の訃報が報じられてから、この私のブログ記事にも、一層のアクセスが、なお、続いています。
中川先生は、私が農林水産省政務次官をしていたとき、その後任の農林水産政務次官でした。
ちょうど、その新旧次官交代での農林水産省職員の皆様方集まっての会合で、私は、こんなことを申し上げた記憶があります。
「この農林水産省の正面玄関に掲げられている農林水産省の看板の文字は、中川先生のご尊父、中川一郎先生が書かれた文字です。
そして、今、中川昭一先生を次官に迎え、農水省設立の原点に立ち返って、がんばってまいりましょう」
その後、私が自民党をはなれたあとも、農林水産政策では、おりにふれ、いろいろ、ご指導をいただく機会が多くありました。
とくに、平成6年に、参議院の岡部三郎先生が主導されて、ドイツにあるような農村休暇法の日本版を日本にも作ろうということで、超党派の議員立法で「農山漁村余暇法」 (正式名称:農山漁村滞在型余暇活動のための基盤整備の促進に関する法律)を作る際には、農協観光との調整に苦慮しましたが、この際にも、中川先生のご厄介になったことがありました。
私は、若いときに、毎年のビート糖やサトウキビの黒糖の政策価格を決める自民党の甘味資源小委員会の委員長を何期かつとめさせていただいたおかげで、ビートの産地の北海道の先生方には大変にお世話になってきました。
中川先生も、そのお一人です。
また、私も、中川先生も、今自民党幹事長の大島さんも、平沼さんも、小泉さんも、麻生さんも、若いときは、大蔵委員会でした。
一緒に大蔵委員会の理事をしていたころの、懐かしい中川先生のお姿が目に浮かんでまいります。
残念にも、ご最後の選挙となってしまった今年8月の選挙では、たまさかの世間の毀誉褒貶にあわれてしまいましたが、「農村を愛する」という中川先生のお気持ちは、必ずや、北海道の有権者の皆様には、伝わっているとおもいます。
謹んで、ご冥福をお祈りします。