ニューヨークタイムズ紙の昨日の年頭論説(社説)に「日本の失われた10年を避けるために」(「Avoiding a Japanese Decade 」とのコラムが載っています。
内容(全訳)は下記のとおりです。
ありがたいことに、2009年は、年初よりもいくらかよく終わった。
エコノミストは、アメリカ経済回復定着の兆しが見えたと、話している。
消費者信頼指数は改善した。
株式市場は、上昇した。
しかし、すべての成長においては、アメリカ経済は、非常に脆弱のままにある。
これらの経済的リスクを考える上で、日本の1990年代における経験を考慮することには、意義がある。
不動産バブルは、金融危機の火付け役となり、続く10年にわたる景気停滞へと連なる。
日本政府は、必要なことをなすべき決断に欠けていた。
日本政府は、金融機能の正常化に失敗し、景気回復が定着する前に、初期の財政政策出動による景気刺激策を、やめてしまった。
それによって、日本経済は、アジア通貨危機や2001年のインターネットバブル経済の崩壊を含む、、外部からのショックに弱いものとなった。
日本の年間成長率は、1973年当時は平均4パーセントあったものが、1992年から2003年にかけては、平均1パーセント以下に落ち込んだ。
オバマ政権の経済アドバイザーは、日本の経験について学んできた。
しかし、十分には学んでおらず、ましてや、アメリカ議会は、そのことに関心すら抱いていない。
もし、彼らがそのことに注意を払わなければ、結局は、日本経済をして失われた10年にせしめたような、大きな誤りを繰り返すことに終わるだろう。
アメリカ経済回復の兆しは、ようやく、土の中から芽を出したばかりのようなものなのに、すでに、アメリカ議会では、共和党や保守的な民主党の議員のなかには、オバマ政権に対して、赤字予算を切り詰めるための何かをしなければならないとの要求を突きつけている。
われわれが憂慮しているのは、政治的な「声高な要求」に対しては、抵抗しがたいものがあるということである。
日本政府は、1997年に、3年間の中途半端な経済成長のあと、財政刺激策をストップしてしまった。
日本政府は、消費税を上げ、一時的な所得税減税を終了してしまい、社会保険料の値上げをしたが、その結果、日本経済の回復を、つぼみのうちに、摘み取ってしまった。
日本が犯したもうひとつの失敗は、銀行の正常化をしようとしなかったことだ。
金融監督機関は、銀行や債務会社に対して、数兆円もの不良債権があることを認識させようとしなかった。
日本の銀行は、ゾンビのごとく、合併を繰り返し、転がっていき、支払い不能の会社を立ち上がらせるためだけの無駄な信用を与え続けてきた。
アジア通貨危機がおそったとき、多くの過小資本の銀行は、倒産した。
オバマ政権は、銀行に対して、これまで、非常に寛大であるとはいえなかったが、しかし、それでも、十分に積極的であったとはいえない。
銀行の破壊的なリスク・テイクを抑制することを意図した規制改革について、議会での進捗状況は、ゆっくりしたものとなっている。
アメリカ財務省は、銀行に対して、資本増強を強制しているにもかかわらず、いくつかの大手金融機関を含む多くの銀行の自己資本は、依然、薄く弱いままとなっている。
銀行は、不良債権の処理や損切りに対して、気が進まない。
銀行は、リスキーな商業ローンや、モーゲージローンや消費者ローンを、一杯詰め込んだままにある。
一方、銀行経営者は、納税者の寛容と忍耐から、気前よく公的支援を得た後も、巨額なボーナスを自分で自分に支払うことに固執していることで、事態をより悪くしている。
ここには、二つの大きな問題がある。
銀行経営者のリスク・テイク好きの性向は、少しも、抑制されていないということ。
そして、アメリカの大衆は、まったく、うんざりしている、ということである。
このことが何を意味しているかといえば、たとえば、FEDが低金利の資金提供を引き上げるようなことで、もし、他の金融機関の危機があったとしても、如何に必要であったとしても、議会に他の救済措置を認めさせることが、非常に難しくなる、ということである。
それでも、オバマ政権は、これまでのところは、日本政府がかつて、金融危機でおこなったことよりも、危機対処においては、かなりよくやっている。
2009年と同じように陰鬱ではあるのだが、財政面での景気刺激策なくして、また、FEDからの膨大な通貨供給なくして、起こりうることと比較すれば、そのこと自体は、たいしたことではない。
ホワイトハウスは、いま、来年のための他の小型の景気刺激策を進めようとしている。
さらに改革を進め、経済を押し上げるところにチャンスはある。
もし、日本の失われた十年に重要な教訓を見出すとすれば、中止半端なその場しのぎの策は不要だということだ。
以上、翻訳終わり