笹山登生のウォッチ&アナライズ –


2010年4月5日

シェルターのいろいろ-ホームレス用から災害時用まで-

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama 2:05 PM

1.ホーム・ドーム

2. U-M緊急時シェルター

3.メタ・プレート

4.ボックス

5.オール・イン・ワンのタイプのモバイル・ホーム

6.ルーム・ルーム

7.サンクチュアリー

8.ライフ・リンク

9.Sphere

10.ESiS

11.La Virtuale Yourte

12.Street URCHIN

13.SHRIMP

14.Temporary Habitat

15.Flat-Pac Emergency Shelter

16.Home Carry Home

17.ZO_loft Wheelly

18.Uber

19.Emergency Response Studio

20.Cocoon

21.Origami Homeless Shelter

22. Kahuta Transitional Housing

23.Reaction Housing

24.Lightweight Emergency Shelter

25.Butterfly Structure

以上

2010年3月22日

ツイッターのコピーは著作権に抵触するのか?

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama 2:08 PM

新しい通信手段ができるたびに、そのメディアと著作権との関係が問題になるのだが、今全盛のツイッター(Twitter)も、その例外ではないようだ。

ツイッターをマイクロ・ブログと考えた場合、ブログと同様の著作権が発生するとみなす意見の一方で、ツイッターの著作権問題は、現在の著作権とはなじみにくい、との意見もあるようだ。

Facebookについても同様の見解があるようだ。

ツイッターの140文字数の作品はcopyrightableなのか?

問題は、ツイッターの限られた140の文字数に、どの程度の著作権の侵害性を認めるか、copyrightableであるかuncopyrightableであるかどうか、という問題に尽きるようだ。

Jeffrey Zeldmanの意見『You cannot copyright a Tweet』では、「Copyright Protection Not Available for Names,Titles, or Short Phrases」で見る限りにおいては、『ある一定量のボリュームの文字・絵画・音楽・図形をふくむ作品』となっているもの、としている。

これに対し、『Copyright of Twitter posts in practice』では、Jeffrey Zeldmanに対し、著作権の適用には、文字数の少なさは関係ないとの反論を試みている。

また、「Is a Twitter Tweet Protected by Copyright?」では内容次第という見解を述べている

すなわち、ヘミングウェイがTwitterを使った場合、ヘミングウェイの言葉「”For sale: baby shoes, never worn.” 」(売ります:赤ちゃん用のくつ。未使用)なら、充分、著作権法の対象になるとしている。

また、Ashleigh Brilliantの17文字からなる警句集も裁判でcopyrightableと判断されたように、著作権法の対象になりうるとしている。

文字数の少なさについても、HashTagを使えば、特定の著作物の全文をTwitterで流すことも出来てしまうので、ひとつのツイッターの文字数で、著作権侵害の程度を測ることはできないとする見解もある。

ツイッターは、フェア・ユースの対象となるのか?

アメリカの場合には、”commentary on an underlying work”など、一定の条件の下、フェア・ユースとして著作権除外が認められている。

このことから、このサイト「Twitter and Fair Use」では、ツイッターへの著作権適用は難しいとの見解を述べている。

一方で、このサイト「Are Tweets Copyrighted ?」のように、「ツイッターは、フェア・ユースの対象とならない。」との意見もあり、ばらばらである。

オリジナリティのあるツイッターとオリジナリティのないツイッター

俳句や短歌などは、文字数は少ないが、オリジナリティはあるわけで、その故に著作権で守られる意義はある。

しかし、ツイッターという思いつき文字の羅列が、著作権で守られるべきオリジナリティのレベルに達しているかといえば、俳句や短歌とは同列にはできないという見解がある。

特に、ツイッターの場以外で、一定の業績を上げている著名人などの場合は、訴訟要件を構成しうるものとして、該当するようだが、一般人の場合には、難しいものとされているようだ。

第一、毎日のツイッター発言について『この発言には、著作権があります』と書き込めるシステムに、ツイッターは、なっていない。

しかも、ツイッター発信は、発信元であるアカウントの持ち主の恣意性に任されている。

もし、アカウントの持ち主が有名人であって、自ら放つツイッター発信に対して著作権侵害の怖れがある場合は、自己責任において、ツイッターを削除するか、あるいは、アカウントを削除すればいい。

しかし、たとえ、訴訟対象となりえても、それに対する対抗措置としては、サービスの停止措置を要求するにしても、タイムラインでツイッターが絶えず流れている以上、その停止は難しいものとされている。

また、ツイッターのもつ有力な機能として、「返信」「リツイート』という機能があるが、ここで、すでに不法な「さえずり」が、リンク交換で、転々すると、著作権の侵害がつづけられるということになりうる。

この場合、オリジナルなツイッター者が、その不法侵害性を訴えてみたところで、実質的には、その訴えは、不可能ということになってしまう。

特定のツイッターを収集し、他の媒体に纏め上げた場合

特定のツイッターを収集し、一定のボリュームに他の媒体に纏め上げた場合には、そこに、著作権が発生する、という見方がある。

たとえば、David Pogueが書いた「The World According to Twitter 」は、多くのTwitter例を集めたものだが、これなどは、著作権法の対象になるとする意見がある。

最近日本でも、一部商業新聞(3月16日夕刊フジ)が、特定政治家のツイッター集を無断で紙媒体である新聞に掲載したが、このような場合には、当然、著作権を主張されるであろう。

いわゆる有名人のツイッター集なるものが他の媒体で編集された場合には、差し止め請求はできるのかもしれない。

その他の問題

ツイッター上において、不法ダウンロード・サイトのリンク交換がおこなわれる危険性もありうる。

著作権以外のツイッター上における法的侵害問題については、名誉毀損問題や商標侵害問題などがある。

今後の展望

ツイッターのコピーがcopyrightableであるかuncopyrightableであるかどうか、という問題については、今後、個々の訴訟において示される司法見解に待つしかない。

その意味では、Kyle-Beth Hilfer が『Tweet Tweet The Rockin’ Copyright Debate』で述べているように、事実集約的プロセス(fact-intensive process)において、ツイッターのコピーがcopyrightableであるかuncopyrightableであるかが決定されていくと見られる。

したがって、それらの司法見解が一定の定着を見るまでは、あらゆる可能性を予測した対応が望まれるというしかない。

参考
「Copyright and Twitter」

2010年3月14日

ドーハラウンド2010年内決着をめぐる楽観論と悲観論

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama 2:10 PM

昨年のG20ピッツバーグ合意にもとづき、WTO関係国閣僚会議は、今月末に、関税引き下げなどについての幅広い取り扱いを決めるために開催の予定であるが、ここにきて、いよいよ高まる世界の保護貿易主義やアンチ・グローバリズムの高まりの中で、はたしてピッツバーグ合意が今年中に果たされうるのか否かについての楽観論・悲観論が織り成す状況となっているようだ。

前のWTOの事務局長だったニュージーランドのファルコナー氏によれば、WTO合意は80パーセントはできていて、残りの20パーセントに厄介な問題があり、その多くは政治問題なのだという。

「多くのマラソンランナーは、残り最後の数キロメートルのところで失敗する」と彼は言う。

オーストラリアのAnthony Byme氏は「ラミー事務局長が年初以来いっている2010年内合意は達成可能であり、残された問題は、特別セーフガードの問題やら関心品目の問題、そして、関税率割り当て創設問題や綿花問題などごく一部の問題のみである。2013年までに、輸出奨励金全廃を政策の優先順位にすればいい。」という。

一方、これらの楽観論の一方で、悲観論もある。

イリノイ大学のRobert Thompson氏は「今年中のドーハラウンド合意は、不可能で、2011年または2012年中合意も、難しい。最大の問題は、高まる失業率で、これらの経済問題が解決を見るには、2013年まで、WTOドーハラウンド合意は、難しい。」という。

これらの楽観論・悲観論に共通することは、表面的にするか実質的にするかの違いはあるにせよ、2013年を最終合意年にするという暗黙の合意にも見られる。

ここにきて、先週水曜日に、ラミー事務局長がアメリカのガイトナー財務長官などと会ったことが、いろいろな憶測をよんでいる。

一方で、アメリカは、二国間(バイ)での貿易協定の締結を加速させている。

棚上げ中のコロンビア、パナマ、韓国とのFTA締結議会承認を加速させる動きも、アメリカ議会に見られる。

オバマ大統領が、この木曜日での演説で強調したのは、この五年間で輸出を倍増させるという強気のものであった。

しかし、これらの動きにもかかわらず、議員の動きは、鈍いようだ。

これらの動きを加速させようと躍起になればなるほど、ブーメランのごとく降りかかってくるのが、アメリカ国内の労働問題であるからだ。

上院議員のグラスレー氏は、次のように語る。「貿易問題が次なる問題に発展するようなうちは、われわれは、貿易問題を論じない。」

参考
「CORRECTED – UPDATE 1-Deal in WTO Doha round doubtful in 2010 -USTR Kirk」
「U.S. Nears a Crossroads on Trade」
「US views Doha framework as ‘not satisfactory’: lawmaker」
「WTO says ‘too early’ for ministers to meet on Doha」
「Doha derailed until 2013, says US」

2010年3月2日

卒業式にふさわしい歌-YouTube-

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama 2:12 PM

旅立ちの日に(影森中学校教員)

3月9日 レミオロメン

栄光の架橋 (ゆず )

 

ありがとう(いきものがかり)

道(EXILE)

 

マイバラード

巣立ちの歌

時の旅人

大地讃頌

アンジェラ・アキ – 手紙 ~拝啓 十五の君へ~

伝えたい、君に

自分らしく

 

未来

春に

Believe

 

明日へ

My Best Of My Life(Superfly)

さくら 森山直太朗

 

未来へ Kiroro

卒業写真 荒井由実

桜 コブクロ

 

桜咲く頃

咲かないで

サヨナラの歌

桜の雨

北風ー君に届きますように

言葉にしたいんだ

スタートライン

いのちの歌

卒業の日 サスケ

桜(FUNKY MONKEY BABYS)

旅たちの時

この星に生まれて

輝くために

心の中にきらめいて

 

そのままの君で

Tomorrow

ひろい世界へ

 

明日の空へ

その他

以下リストのみ

「song is my soul」
「with you smile」
「あなたが夜明けをつげる子どもたち」
「あなたの夢は」
「いつも何度でも」
「きみに会えて」 佐藤 進 作詞作曲  沢本俊一 編曲
「この地球のどこかで」
「さくら」
「さようなら」   倉品正二 作詞作曲 加賀清孝 編曲
「さよならを言おう」
「さよなら友よ」 阪田寛夫 作詞  黒沢吉徳 作曲
「すてきな友だち」
「そのままの君で」 松井孝夫 作詞作曲
「ひろい世界へ」
「また会う日までさようなら」
「みんなのうた」
「君は君の主人公だから」
「君よ心の舵をとれ」
「自分らしく」  松井孝夫 作詞作曲
「心の中に 」  富岡博志 作詞作曲
「心の瞳」
「世界が一つになるまで」
「巣立つ時に」  松井孝夫 作詞作曲
「大きくなっても」
「伝えたい 君に」
「風にふかれて」  岩沢千早 作詞  大熊崇子 作曲
「忘れはしない」
「明日のために」 松井孝夫 作詞作曲
「友だちでいよう」
「友達でいようね」 松井孝夫 作詞作曲
「翼をください」
「離陸準備完了」
「流れ行く雲を見つめて」 松井孝夫 作詞作曲
「旅立ち」
「旅立ちの日に」
「世界に一つだけの花」

2010年2月9日

メモ-FTAと国内農業との利害対立回避スキーム

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama 2:38 PM

Twitterの効用というか、あたらな出会いで、新しい政策スキームの模索の糸口がつかめそうな感じになっている。

このTwitter「FTA_EPA」さんは、FTAについての情報提供を、Twitter上で展開されている。

そこで、FTAと国内農業との利害対立回避スキームは、確立できないのか、ということについてなのだが。

FTA_EPAさんによれば、海外間のFTAを活用してサプライチェーンを再構築すると、コストが下がる解を見つけることができるという。

サプライチェーンはリードタイムの短縮、トータルコストの削減、在庫の削減などにつながる。

サプライチェーンでFTAを考えると、原材料・部材をどの国から買ってくるか、どこでアセンブリをするか、どの市場に販売するかで関税は大きな役割を果たすことになる。

非原産品の取り扱いでは、FTAの相手国は原産品として扱われる。

例えば日本=マレーシアのFTAなら、マレーシア産の材料は日本産と同等に扱う。

付加価値基準によれば、商品の価額(FOB)に対して、輸入品(非原産)の部材費を引いた金額の割合が一定のパーセント以上であれば原産品であることを認める。

関税番号変更基準によれば、原材料・部材のHSコード(輸入品のみでよい)と完成品のHSコードを比較し、協定で規定される桁数部分でコードが変わっていたら原産であることを認める。

この基準をうまく使うと、FTA域内における関税低減化によるサプライ・チェーンの構築を図ることができる。

これらのことから言えることは、
①サプライチェーンの再構築をFTAで図ることができる。
②HS関税番号の付け替えで、『輸入が実質輸出に』なることができる。
ということで、
内需的外需、外需的内需の振興とも言うべき概念が出現できることになる。

すなわち、FTA域内内需、FTA域外外需とも言うべき概念が出現しうるということだ。

以上は、工業品についてのスキームが主になると思われるが、同様にスキームが農業品目についても、可能なように思われる。

つまり、『農業→食品工業』のチェーンを構築する上で、FTAによるサプライチェーンの構築が図れないものだろうか、ということである。

このスキームにおいては、食品において、「国産だから安全」「中国産だから危険」というような偏見は、通用しないことになりうる。

また、この場合のFTAの相手方は、必ずしも先進国でないほうがうまくいくような気がする。

コロンブスの卵的な発想で、FTAと国内農業との利害対立スキームの解消ができればよいのだが。

2010年2月1日

「賢人への信頼性揺らぐダボス会議」とのニューヨークタイムズ紙記事

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama 2:40 PM

注目の今年のダボス会議も、終幕したが、今年は、中国の意気軒昂ぶりと、金融規制に対する賢人の無策ぶりのみが、際立つ会議ではあった。

その辺の事情を、ニューヨークタイムズ記事『Leaders in Davos Admit Drop in Trust』では次のように伝えている。

以下は、この記事の翻訳である

今年のダボス会議で、持ち帰られる成果があったとすれば、それは、政府や企業、とりわけ銀行業に対する信頼は、アルプスのリゾート地の氷結した街路で、確かな足元を確保するのと同じように、心もとないものとなっている、ということだ。

金融制度が、一年前のダボス会議で多くのスピーカーが垣間見たような深淵からは引き戻されえたということについては、全体的に安堵が広がっていた。

イギリスの銀行であるHSBCのStephen K. Green氏が、「信用においては、巨大な崩壊があったにせよ、われわれが一年前にいたところよりも、いい場所にいる。」という言い方をしたように。

世界経済協議会における四日間にわたる非公式会合において、銀行家、中央銀行そして政治家は、マーケットや銀行を規制するためのベストの前進策についての合意には、なんら至らなかった。

多くの銀行家のように、グリーン氏は、『大西洋の両サイドにおける政治的イニシアティブ』の必要性を認めはしたが、政治家に、その領域を譲ろうとはしなかった。

『これは非常に重要なことであり、我々は、赤ん坊をあったかい風呂水から投げ出すことはしない。』と彼は言った。

金融サービス産業のメンバーは、如何に彼らが、公的な評価をうしなかったかということに気づき、悲しげに見えた。

民間株式会社が、 オバマ政権の銀行規制案を支持するかどうかについての論評において、企業買収グループCarlyle Groupの最高経営責任者であるDavid M. Rubenstein氏は、次のような軽口をたたいた。

「我々のポジションは、決まっていない。なぜなら、 もし、我々が賛成を表明すれば、このオバマ提案はとおらないであろう事を、我々は、 恐れているからだ。」

おそらく、巨満の投資家やGeorge Sorosは、もっとも簡潔に、その両価性を足し算している。

彼は言う。

「あなたは、銀行規制を最小限にとどめたいとおもっているのだろう。 なぜなら、規制は、マーケットにゆだねるよりも、悪いものとなるからだ。しかし、あなたは、その規制なしで済ますことはできない。」

だから、これまで、新しい国際通貨制度やドルに替わる新しい準備通貨の創設をするよう促してきたフランスのNicolas Sarkozy大統領から、この雪いっぱいの会合の依然中心となっている、怒れる労働組合の代表や、スーツを着込んだ白人のビジネスマンにいたるまで、ひとつの確実性は、次なる不確実性へとつながっているようにも見えるのだ。

多くの有力な参加者は、次のように言う。

「この三年間の間に経験した金融恐慌、救済、 解決策の模索は、前例のないものであった。」と。

このこと自体が、解決策の模索を困難にしているのだ。

すなわち、いつをもって、混乱から抜け出したとするのか、我々は、その時期をどう定義づけるのか?

そして、西においては、オバマ大統領に見るように、政治家に対して、広範囲にわたる痛みを和らげるようにとのプレッシャーが増している。

最近のオバマ大統領のウォール街への攻撃は、実体経済と雇用に焦点をあわせた一般教書とともに、このダボス会議での討論に対しても、一定の背景となるものを与えている。

オバマに同行して、このダボス会議に来た唯一の政府高官である、オバマ大統領の経済顧問であるLawrence H. Summers氏は、土曜日に開かれた満員の聴衆の前で、オバマ大統領が、なぜ、この金融機関規制問題を最優先にしているのかについて、今のアメリカにおいては、25歳から54歳にいたる人の五人に一人は、失業者であるということを特筆することで、その理由を示唆した。

アメリカ経済は、2009年の最後の第四半期において、力強く成長したものの、いつまでも続く失業は、彼が述べたように『統計上の回復と人的不況』の状態をうみだした。

経済の回復につれて、これまで7か8あったものが、1に低下すると予測するのは、理にかなったことではある、と、 彼は言う。

しかし、1960年代半ばには、その年代では、95パーセントの雇用を確保していたことをおもえば、今の事態は、それとはあまりにもかけ離れている。

これらと対照的に、同じ討論でも、中国人民銀行副総裁の朱民氏のプレゼンテーションは、楽観的なものであった。

「中国にとっては、この一年は、いい年であった。」

朱民氏は、統計数字をすらすらというまえに、 こうきりだした。

その統計数字は、エコノミストの心すらギョッとさせるものであった。

たとえば、 鉄鋼生産における二億トンの過剰生産能力は、2008年のEU加盟27カ国において作られる鉄鋼一億九千八百万トンにほぼ等しいものである。

今年の中国のダボス会議に向けた代表団は、この40年のダボス会議で最大のものであった。

この中国の代表団は、次期首相と予想されている中国副総理李克強氏によって、率いられたものだ。

彼らの風貌には、二年前のそれよりも、より、自信にあふれたように見え、それは、ダボス会議の参加者の多くが言うように、、世界の力の西から東、とくに中国への明らかなシフトの反映である。

この西から東への力のシフトの効果や、それが、東西の協力につながるのか、それとも対立につながるのか、は、西の政治家、とりわけアメリカの政治家の関心事である。

中国は、『信頼こそ、このダボス会議での答えである』とも言う。

「中国人とアメリカ人とヨーロッパの人々と、われわれ中国人との間には、相互理解が欠けている」と、中国の元政治家で北京のシンクタンクCIFF中国國際金融論壇の成思危氏は言う。

「これらの関係を安定的なものに保つ唯一の方法は、相互の信用を構築することである」と成思危氏は言う。

しかし、世界の力のバランスが中国と南アジアに傾くことで、ヨーロッパやアメリカや日本は、自らの経済力の低下や急速な失速を目の当たりにすることになる。

相互信頼の構築は、このような痛みが続くであろうとの恐れや、現世代の労働力世代が親の時代よりも繁栄しないことへの恐れがある限りは、これまで以上に難しいことであろう。

世界の多くは、この力の西から東へのシフトを気にかけているし、それをどう予測していいのかわからないでいる。

「世界を支配するスーパーパワーから多極世界への過渡期においては、多くの不確実性を見なければならないし、多くの偶発性も見なければならない。」と、ドイツ銀行会長のJosef Ackermann氏は言う。

ダボス会議におけるいくつかの討論から生じている困難性の一部は、グローバリゼーションや相互関連性の進展にもかかわらず、 解を 見出すことが、個々の国家や企業や銀行の肩に、大きくかかっているということだ。

世界経済の方向をコントロールする本体として、これまでのG7に取って代わって出現したG20へと相互団結することで、政治家やエコノミストは、アジア最初の会議となる今年11月に韓国ソウルで開かれるG20会議に先立って、6月までに、 政策提案を策定するものと思われる。

アメリカやヨーロッパにおける失業者たちとは程遠い存在であるこのグループが、これら失業者たちの痛みを和らげることができるかどうかは、わからない。

しかし、 Ackermann氏は、次のように言う。

「いち早く、 このシステムに自信を回復させる何かが起こらなければならないのだ、ということを、我々のすべては知っているのだ。」と。

By ALISON SMALE

Jack Ewing and Katrin Bennhold contributed reporting.

以上、 翻訳終わり

2010年1月31日

面白いツイッターでの経済アフォリズム

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama 2:42 PM

このサイト

ですが、なかなか、面白いですね。
この中から選ぶとすると以下のようなところかな?

〇利して而る後にこれを利するは、利して利せざる者の利あるに如かざるなり。-「筍子」

〇経済学は己自身の世帯をやりくりする科学なり。- セネカ 「書簡集」

〇商業の利己主義的思想には国というものはなく、利潤以外になんの情熱も主義も考えない。- ジェファーソン 「ラルキン・スミスへの書簡」

〇巣箱の利益にならざることは、蜜蜂の利益にもなりえず。- アウレリウス 「自省日記」

〇今日の世界における最大の実業家たちは借財者たちだ。- ハバード 「広告」

〇金利生活者の莫大な資金の蓄積は、大きなガンになっている。したがって、彼らの資金を産業投資にふり向けねばならない。これは、金利生活者が安楽住来することによって漸次解決される。- ケーンズ 「雇用・利子および貨幣の一般理論」

〇損害は塵挨に書き、利益は大理石に書け。- フランクリン 「貧しいリチャードのアルマナック

〇商業…Aなる者がBなる者から、Cなる者の商品を奪い、その埋め合わせにBなる者がDなる者のポケットから、Eなる者の所有にかかる金銭をかすめとる取引の一種。- ビアス 「悪魔の辞典」

〇商業が永く栄えるところに名誉は地に落ちる。- ゴールドスミス 「旅行者」

〇資本とは、一国の富のうち生産に用いられる部分であり、食物・被服・道具・原料・機械など労働にはほとんど利用されない。- ゴルドー二 「パメラ」

〇資本は利潤の正当な分け前にあずかる権利があるが、ただし、正当な分け前だけだ。- オコンネル 「労働者の権利についての書簡-1927」

〇不況の唯一の原因は好況である。- ジュグラール 「フランス、イギリスおよびアメリカの商業恐慌とその周期的循環」

〇極度の節約は経済ではない。…巨額の出費が真の経済の不可欠な役割を果すであろう。- バーク 「某貴族への書簡」

〇もろもろの産業は、もともと女のものである。したがって、産業の力は次第に男を女に似たものにしている。- エリス 「男と女」

〇所得税は己れの良心にかけられた税と認識すべきである – ミル 「自由論」

〇アラーは商売はお許しになったが、利息取りはご法度だ。- マホメット 「コーラン」

〇収入を消費している限り、人々の口から奪い取るパンと同量のパンを再び彼らの国に投げ込んでいる。- バートランド・ラッセル 「怠惰への讃歌」

〇資本ある者は、あらゆる権利利益をおさめ、社会の表面に立ち、わ占が物顔にこの世のなかに飛びまはりをるにあらざるや。法律はとくに彼らのために保護を与へ、政治は彼らの利益のために行なはる。- 横山源之助 「内地雑居後の日本」

2010年1月29日

鳩山総理施政方針演説『いのち』は『生存基盤持続型発展』という意味なのに。

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama 2:46 PM

今日の鳩山さんの施政方針演説なんだが、生硬な表現が目立ちましたね。

意外に、鳩山さんは、レトリック下手なんですね。

安倍さんの『美しい日本』にも鼻白むものがありましたが、今日の『いのち』には、それ以上の『くささ』がありましたね。

『人間圏』なんて、英語の”Humanosphere”の直訳なんだろうし『いのち』ってのも、英語の”Biosphere”の直訳なんだろうし。

これをそのまま、もっとも大衆的・俗物的な国会の場にもってくるのには、所詮ムリがあるんですよね。。

妙な環境学者の入れ知恵があったのかしら?

そうか。鳩山さんのネタがわかってきたぞ。

国連開発計画(UNDP)による「人間開発指数(HDI)」やBritish Columbia 大学の「Human-Ecological Dysfunction」や京都大学の杉原薫さんたちのグローバルCOEプログラムの「生存基盤指数」の概念などの直訳的な演説への導入なんだな。

あっさりネタばれとは、なさけないですね。

おそらく、鳩山さんの今日の演説ネタは、京都大学グローバルCOEプログラムの「生存基盤持続型の発展を目指す地域研究拠点」 に多くをよっているようですね。

ここにも、稲盛さんの影かな?

ひょっとして、松井孝治官房副長官か平田オリザさんが、環境理論にそぐわない余計な情緒的修文加工を施しすぎて、「ワケワカメ」になってしまったのかもしれないのだが。

参考

京都大学のGlobal COEプログラム

生存基盤指数のひとつの基礎、HDI

「生存基盤指数」では、

地球圏(Geosphere)・ 生命圏(Biosphere)を中心とした環境関連指標と、
人間圏(Humanosphere)を中心とした人間関連指標を統合することで、
両者のもつ問題点を乗り越えることを目指している。

実験

鳩山総理の施政方針演説の冒頭部分の『いのち』を『生存基盤』に変えてみました。

たった、これだけで、ぐーんと格調高く、また、切実さを伴った主張となり、かつ、わかりやすくなりますよ。

つまり、たった一つの言葉の変換によって、酒の甘口が辛口に変化するようなものとなるわけです。

やはり、ゴーストライターの入れ替えが必要のようですね。

【1・はじめに】
いのちを、守りたい。
(あらゆるいのちの)生存基盤を守りたいと、願うのです。
生まれくるいのち、そして、育ちゆくいのち(の生存基盤)を守りたい。
(まさに、沖縄の言葉「ぬちどう宝」こそ、政治の原点なのです。)
若い夫婦が、経済的な負担を不安に思い、子どもを持つことをあきらめてしまう、そんな社会を変えていきたい。未来を担う子どもたちが、自らの無限の可能性を自由に追求していける、そんな社会を築いていかなければなりません。
働く(ひとびとのベースとなる)生存基盤を守りたい。
雇用の確保は、緊急の課題です。しかし、それに加えて、職を失った方々や、さまざまな理由で求職活動を続けている方々が、人との接点を失わず、共同体の一員として活動していける社会をつくっていきたい。経済活動はもとより、文化、スポーツ、ボランティア活動などを通じて、すべての人が社会との接点を持っている、そんな居場所と出番のある、新しい共同体の在り方を考えていきたいと願います。
いつ、いかなる時も、人間を孤立させてはなりません。
一人暮らしのお年寄りが、誰にもみとられず孤独な死を迎える、そんな事件をなくしていかなければなりません。誰もが、地域で孤立することなく暮らしていける社会をつくっていかなければなりません。
世界の(あらゆるいのちの源泉となりうる)生存基盤を守りたい。
これから生まれくる子どもたちが成人になった時、核の脅威が歴史の教科書の中で過去の教訓と化している、そんな未来をつくりたいと願います。
世界中の子どもたちが、飢餓や感染症、紛争や地雷によって(彼らの安寧のための)生存基盤を奪われることのない社会をつくっていこうではありませんか。誰もが衛生的な水を飲むことができ、差別や偏見とは無縁に、人権が守られ基礎的な教育が受けられる、そんな暮らしを、国際社会の責任として、すべての子どもたちに保障していかなければなりません。
今回のハイチ地震のような被害の拡大を国際的な協力で最小限に食い止め、新たな感染症の大流行を可能な限り抑え込むため、(ライフラインとしての)生存基盤を守るネットワークを、アジア、そして世界全体に張り巡らせていきたいと思います。
地球の(環境がはぐくむ、あらゆる種のいのち、そして、)生存基盤を守りたい。
この宇宙が生成して137億年、地球が誕生して46億年。その長い時間軸から見れば、人類が生まれ、そして文明生活を送れるようになった、いわゆる「人間圏」ができたこの1万年は、ごく短い時間にすぎません。しかし、この「短時間」の中で、私たちは、地球の時間を驚くべき速度で早送りして、資源を浪費し、地球環境を大きく破壊し、生態系にかつてない激変を加えています。約3000万とも言われる地球上の生物種のうち、現在年間約4万の種が絶滅していると推測されています。現代の産業活動や生活スタイルは、豊かさをもたらす一方で、確実に、人類が現在のような文明生活を送ることができる「残り時間」を短くしていることに、私たち自身が気付かなければなりません。
私たちの英知を総動員し、地球というシステムと調和した「人間圏」はいかにあるべきか、具体策を講じていくことが必要です。少しでも地球の「残り時間」の減少を緩やかにするよう、社会を挙げて取り組むこと。それが、今を生きる私たちの未来への責任です。本年、わが国は生物多様性条約締約国会議の議長国を務めます。かけがえのない地球を子どもや孫たちの世代に引き継ぐために、国境を越えて力を合わせなければなりません。
私は、このような思いから、2010年度予算を「(いのち、そして、喫緊の)生存基盤を守る予算」と名付け、これを日本の新しい在り方への第一歩として、国会議員の皆さん、そして、すべての国民の皆さまに提示し、活発なご議論をいただきたいと願っています。

 

今日の鳩山総理の施政方針演説の「いのち」のネタ元は?

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama 2:44 PM

今日の鳩山さんの施政方針演説なんだが、生硬な表現が目立ちましたね。

意外に、鳩山さんは、レトリック下手なんですね。

安倍さんの『美しい日本』にも鼻白むものがありましたが、今日の『いのち』には、それ以上の『くささ』がありましたね。

『人間圏』なんて、英語の”Humanosphere”の直訳なんだろうし『いのち』ってのも、英語の”Biosphere”の直訳なんだろうし。

これをそのまま、もっとも大衆的・俗物的な国会の場にもってくるのには、所詮ムリがあるんですよね。。

妙な環境学者の入れ知恵があったのかしら?

そうか。鳩山さんのネタがわかってきたぞ。

国連開発計画(UNDP)による「人間開発指数(HDI)」やBritish Columbia 大学の「Human-Ecological Dysfunction」や京都大学の杉原薫さんたちのグローバルCOEプログラムの「生存基盤指数」の概念などの直訳的な演説への導入なんだな。

あっさりネタばれとは、なさけないですね。

おそらく、鳩山さんの今日の演説ネタは、京都大学グローバルCOEプログラムの「生存基盤持続型の発展を目指す地域研究拠点」 に多くをよっているようですね。

ここにも、稲盛さんの影かな?

ひょっとして、松井孝治官房副長官か平田オリザさんが、環境理論にそぐわない余計な情緒的修文加工を施しすぎて、「ワケワカメ」になってしまったのかもしれないのだが。

参考

京都大学のGlobal COEプログラム

生存基盤指数のひとつの基礎、HDI

「生存基盤指数」では、

地球圏(Geosphere)・ 生命圏(Biosphere)を中心とした環境関連指標と、
人間圏(Humanosphere)を中心とした人間関連指標を統合することで、
両者のもつ問題点を乗り越えることを目指している。

実験

鳩山総理の施政方針演説の冒頭部分の『いのち』を『生存基盤』に変えてみました。

たった、これだけで、ぐーんと格調高く、また、切実さを伴った主張となり、かつ、わかりやすくなりますよ。

つまり、たった一つの言葉の変換によって、酒の甘口が辛口に変化するようなものとなるわけです。

やはり、ゴーストライターの入れ替えが必要のようですね。

【1・はじめに】
いのちを、守りたい。
(あらゆるいのちの)生存基盤を守りたいと、願うのです。
生まれくるいのち、そして、育ちゆくいのち(の生存基盤)を守りたい。
(まさに、沖縄の言葉「ぬちどう宝」こそ、政治の原点なのです。)
若い夫婦が、経済的な負担を不安に思い、子どもを持つことをあきらめてしまう、そんな社会を変えていきたい。未来を担う子どもたちが、自らの無限の可能性を自由に追求していける、そんな社会を築いていかなければなりません。
働く(ひとびとのベースとなる)生存基盤を守りたい。
雇用の確保は、緊急の課題です。しかし、それに加えて、職を失った方々や、さまざまな理由で求職活動を続けている方々が、人との接点を失わず、共同体の一員として活動していける社会をつくっていきたい。経済活動はもとより、文化、スポーツ、ボランティア活動などを通じて、すべての人が社会との接点を持っている、そんな居場所と出番のある、新しい共同体の在り方を考えていきたいと願います。
いつ、いかなる時も、人間を孤立させてはなりません。
一人暮らしのお年寄りが、誰にもみとられず孤独な死を迎える、そんな事件をなくしていかなければなりません。誰もが、地域で孤立することなく暮らしていける社会をつくっていかなければなりません。
世界の(あらゆるいのちの源泉となりうる)生存基盤を守りたい。
これから生まれくる子どもたちが成人になった時、核の脅威が歴史の教科書の中で過去の教訓と化している、そんな未来をつくりたいと願います。
世界中の子どもたちが、飢餓や感染症、紛争や地雷によって(彼らの安寧のための)生存基盤を奪われることのない社会をつくっていこうではありませんか。誰もが衛生的な水を飲むことができ、差別や偏見とは無縁に、人権が守られ基礎的な教育が受けられる、そんな暮らしを、国際社会の責任として、すべての子どもたちに保障していかなければなりません。
今回のハイチ地震のような被害の拡大を国際的な協力で最小限に食い止め、新たな感染症の大流行を可能な限り抑え込むため、(ライフラインとしての)生存基盤を守るネットワークを、アジア、そして世界全体に張り巡らせていきたいと思います。
地球の(環境がはぐくむ、あらゆる種のいのち、そして、)生存基盤を守りたい。
この宇宙が生成して137億年、地球が誕生して46億年。その長い時間軸から見れば、人類が生まれ、そして文明生活を送れるようになった、いわゆる「人間圏」ができたこの1万年は、ごく短い時間にすぎません。しかし、この「短時間」の中で、私たちは、地球の時間を驚くべき速度で早送りして、資源を浪費し、地球環境を大きく破壊し、生態系にかつてない激変を加えています。約3000万とも言われる地球上の生物種のうち、現在年間約4万の種が絶滅していると推測されています。現代の産業活動や生活スタイルは、豊かさをもたらす一方で、確実に、人類が現在のような文明生活を送ることができる「残り時間」を短くしていることに、私たち自身が気付かなければなりません。
私たちの英知を総動員し、地球というシステムと調和した「人間圏」はいかにあるべきか、具体策を講じていくことが必要です。少しでも地球の「残り時間」の減少を緩やかにするよう、社会を挙げて取り組むこと。それが、今を生きる私たちの未来への責任です。本年、わが国は生物多様性条約締約国会議の議長国を務めます。かけがえのない地球を子どもや孫たちの世代に引き継ぐために、国境を越えて力を合わせなければなりません。
私は、このような思いから、2010年度予算を「(いのち、そして、喫緊の)生存基盤を守る予算」と名付け、これを日本の新しい在り方への第一歩として、国会議員の皆さん、そして、すべての国民の皆さまに提示し、活発なご議論をいただきたいと願っています。

2010年1月25日

ロストーの逆の発展段階というものは、あるのだろうか?

Category: 未分類 – Tatsuo Sasayama 2:48 PM

ロストーの発展五段階説(「伝統的社会」→「離陸のための準備段階」→「離陸」→「成熟化へのドライブ」→「大量消費時代」)は、いわば、右肩上がりの離陸論であった。

そして、このロストーの理論どおり、世界経済は、G5国(イギリス→アメリカ→フランス→ドイツ→日本)をリーダーに、次々と、ロストーの予言したテイク・オフを果たし、そして、持続型の水平飛行に入っている。

しかし、ロストーは、この水平飛行から、再び、着陸するシェーマまでは、見通せていなかった。

かねてから、ロストーの発展理論(Rostovian take-off model)に対しては、二つの指摘があり、そのひとつはlinear systemのもとで、発展をとらえており、non-linearityによる発展の失敗を捕らえていないということ、もうひとつは、大国にのみ当てはまりうる理論であると言うことのようである。

つまり、大衆消費社会の爛熟後の遷移(“transition”)までは、見通せていなかったということが言えそうだ。

しかし、見事テイクオフし、今日までどうやら持続的水平飛行を果たしてきた日本の『失われた20年』の惨状を見ていると、私にとっては、『ロストーの発展五段階説を超えた可逆的なシェーマやシナリオ』が必要なのではないかと、思いたくなるのだが。

つまり、その着陸先は、もともと、飛び立った離陸時の段階に再び着陸というのではなく、それとは、異次元での着陸先ということになりそうなのだが。

経済成長という価値観やGDP世界第二位という価値観などとトレードオフしうる新たな価値観とのコンバーター回路がそこに必要ということになる。

経済学には、開発理論はあっても、経済発展成熟後の持続可能理論についての予言は、環境関係の理論以外には、見当たらない。参考「エントロピー派経済理論の私的整理」環境経済学の種類

しかし、エントロピー理論だけでは、解決できないものがそこにあると思われるのは、私だけであろうか。

ひとつの着陸先としては、『経済は収縮するが、高質化する。』という着陸先であり、『人口は、社会的にも出生的にも、矮小化するなかで、パー・キャピタでの快適性は、保たれうる。」という着陸先であり、といった具合である。

また、グローバル化のスキームの後に、どのような差別化のスキームが確立しうるのか、ということにもなるのかもしれない。

さらに、経済成長をドライブする技術革新ではなく、他の価値観をドライブする技術革新の出現というシナリオも考えられる。

あるいは、地域経済なり地方都市を、生命系やクラスターになぞらえて、その内発的かつ持続的発展力を醸成するというような、ジェイコブスの考えに似た地域発展戦略といったものも、考えられるであろう。参考「ヨーロッパのアメニティ都市

それらの、ポスト・ロストーの進路については、『THE GHOST OF ROSTOW』に、ちょっとだけ触れられているようなのだが、

この新しいパラダイムを見つけうれば、何も、衰弱国家は、責任逃れのための、たとえば、少子化対策といったごときの、その場しのぎの「ないものねだり」をする必要はないというわけなのだが。

つまりは、コンパクト・シティならぬコンパクト・ステート・ニッポンとなるための立国デザインの構築が必要というわけなのだろう。

果たして、どうなのだろう?