昨日の鞆の浦景観訴訟広島地裁判決には、環境権にかかわる、いくつかの点で、画期的な判断がされているように思えます。
以下に、私なりの評価すべきポイントと、鞆の浦景観訴訟の判決要旨を掲げておきます。
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判決についての評価すべきポイント
①「鞆の浦の景観は、美しいだけでなく、歴史的、文化的価値を有し、近接する地域内に住み、その恵沢を日常的に享受する住民の景観利益は法律保護に値する。
公有水面埋立法は、景観利益を保護に値する個別利益として含むと解釈される。
住民は景観による恵沢を日常的に享受しており、法律上の利益を有する。」
これはかなり踏み込んだ見解ですね。
公有水面埋立法の4条3項-2の「其ノ埋立ニ因リテ生スル利益ノ程度カ損害ノ程度ヲ著シク超過スルトキ 」における利益の比較衡量において、景観利益の損傷をマイナスでカウントするという解釈のように見えます。
また、環境権の利益の比較衡量において、反射的利益にとどまらない、景観利益を比較衡量にカウントしたという点も、画期的です。
以下の判決の部分もポイントですね。
「公有水面埋立法及びその関連法規は、法的保護に値する、鞆の景観を享受する利益をも個別的利益として保護する趣旨を含むものと解するのが相当である。したがって、原告らのうち上記景観利益を有すると認められる者は、埋め立て免許の差し止めを求めるについて、行訴法所定の法律上の利益を有するものであるといえる。」
「公有水面埋立法は、景観利益をも、個別的利益として保護する」趣旨に立っているという解釈ですね。
では、景観利益を享受しうるのはだれか?というところまでおし進めていくと、非居住者の景観権も、認知されうる判断となり、さらには、原告適格判断のゾーン(使用価値を持たない非居住者の原告適格性如何)も広がりうる解釈となりえます。
ただ、このように環境権の外延としての権利を拡大しすぎていくと、かえって、環境権の概念をあいまいにしてしまうという二律背反性が生まれ得ます。
環境権の外延性拡大は、一方で、国民の他の分野における基本権との衝突をも招く結果となりうるのです。
②「景観の価値は私法上保護されるべき利益であるだけでなく、瀬戸内海における美的景観を成すもので、文化的、歴史的価値を有する景観としていわば国民の財産ともいうべき公益だ。」
この解釈も画期的ですね。
判決のここの部分「景観の恵沢を享受する利益(景観利益)は、私法上の法律関係において、法律上保護に値すると解せられる。」が特にポイントです。
川や海の公有水面の利用権である「地先権」には、私法上保護されるべき利益として「景観の恵沢を享受する利益(景観利益)」をも含む、という解釈のように見えます。
コモンズとしての権利が認められることにつながりうる解釈とも見えます。
これまでは、私権としての環境権をもって、民事訴訟に持ち込んだ場合、公権力の公共益と、原告個人の私的利益との利益の比較衡量によって、原告が、その環境被害にたえうる受忍限度を超えなければ、裁判所による差止め請求権・損害賠償請求権の認容は、なりませんでした。
今回の判決で見る限り、単なる「公権力での公共益 対 反射的利益としての私的利益との対立」ではなく、「公権力での公共益 対 「私法上保護されるべき利益の一部としての景観利益」との対立」という関係での利益の比較衡量が可能になりうる、夜明けの判決ともいえます。
また、環境権が公共信託にまで、およんでいることを認めた画期的な判決とも言えそうです。
これらについては、こちらの私のサイト記事「憲法論議に環境権を明確に位置づけるために」も参考にしてみてください。
以下は鞆の浦景観訴訟の判決要旨です。
◆主文
広島県知事は、公有水面の埋め立てを免許する処分をしてはならない。
◆裁判所の判断
景観は、良好な風景として人々の歴史的または文化的環境を形作り、それが豊かな生活環境を構成する場合には、客観的価値を有するものというべきである。客観的価値を有する良好な景観に近接する地域内に居住し、その恵沢を日常的に享受している者は、景観が有する客観的な価値の侵害に対して密接な利害関係を有するものというべきであり、景観の恵沢を享受する利益(景観利益)は、私法上の法律関係において、法律上保護に値すると解せられる。
さらに進んで、上記のような利益を有する者が、行政訴訟法の法律上の利益をも有する者といえるか否かについて検討する。
公有水面埋立法及びその関連法規は、法的保護に値する、鞆の景観を享受する利益をも個別的利益として保護する趣旨を含むものと解するのが相当である。したがって、原告らのうち上記景観利益を有すると認められる者は、埋め立て免許の差し止めを求めるについて、行訴法所定の法律上の利益を有するものであるといえる。
鞆の景観の価値は、私法上保護されるべき利益であるだけでなく、瀬戸内海における美的景観を構成するものとして、また、文化的、歴史的価値を有する景観として、いわば国民の財産ともいうべき公益である。しかも、本件事業が完成した後にこれを復元することはまず不可能となる性質のものである。これらの点にかんがみれば、本件事業が鞆の景観に及ぼす影響は、決して軽視できない重大なものであり、瀬戸内海環境保全特別措置法(瀬戸内法)等が公益として保護しようとしている景観を侵害するものといえるから、これについての政策判断は慎重になされるべきであり、そのよりどころとした調査及び検討が不十分なものであったり、その判断内容が不合理なものである場合には、埋め立て免許は、合理性を欠くものとして、行訴法にいう裁量権の範囲を超えた場合に当たるというべきである。
(1)道路整備効果
調査は不十分なものといわざるを得ない。県知事がコンサルタントの推計結果のみに依拠して埋め立て架橋案の道路整備効果を判断することは、合理性を欠く。
(2)駐車場の整備
駐車場確保を目的として本件埋め立てをしようとするのは、鞆の景観の価値をあまりに過小評価し、これを保全しようとする行政課題を軽視したものというべきである。
(3)小型船だまりの整備
今あるスペースを最大限有効活用するための方策を検討し、それでも、なお用地が不足するかどうかということについて検討するべきであると考えられるが、このような作業はなされていない。
(4)フェリーふ頭
行政当局としては、まず、湾の埋め立てによらないで、フェリーふ頭を整備する方策について調査、検討すべきであるといえるが、このような調査、検討したことをうかがわせる証拠はない。
(5)防災整備
計画道路が災害時の交通ルートとして活用される場合があるとはいえるものの、既にある避難地や交通路と比較して、格段に避難等の効果が増すとはいえない。
(6)下水道整備
埋め立てによる副次的効果と主張しているのであり、埋め立ての必要性の直接の根拠としているものでもない。
県知事が本件埋め立て免許を行うことは、原告らのその余の主張について判断するまでもなく、行訴法所定の裁量権の範囲を超えた場合に当たるというべきである。よって、行訴法所定の法律上の利益を有していると認められない原告19人の各訴えをいずれも却下し、その余の原告らの請求は、理由があるから、これらを認容することとし、主文のとおり判決する。