民主党がマニフェストで打ち出した各種の直接支払い的な補助金(子供手当て、農業者戸別所得補償、高速料金無料化などなど)が、どのような経済効果をもたらすのか、については、あんまり、経済学者たちの検証がないようにみえる。
ただ、ざっと考えただけでも、歳出段階では意図した政策目的を持った直接支払い的な補助金が、マニフェストで打ち出した政策への整合性を持って、意図したインセンティブでの家計の支出に回ると考えるのは、あまりに高校生的な経済学の発想なのだろう。
ある病に効くとして飲み込んだ薬が、確実にその疾患を持った臓器に到達するとはかぎらないのだ。
おそらく、歪曲化された支出構造に、家計の段階では、なっていくのだろう。
ましてや、所得制限がないということでのモラルハザードは、血税納税者にとっては、反吐が出るほどのものとなるであろう。
高所得の家計では、子供手当てが、ペットの餌の支払い代金に消えることなんて、ザラだと考えたくらいのほうがいいのだろう。
流動性の罠(Liquidity Trap)というのは、次のようなトラップだ。
「金利を下げる→景気の見通しが悪く、通貨供給量(マネーサプライ=現金流通量+預金など)が増えない→不況やデフレがとまらない→供給した金が貯蓄や債券の購入にまわり、銀行に戻るため、通貨流通量が増えない。」
まあ、今の日本経済はますます、このトラップにはまって、身動きのできない状態にあるのだが、この罠にかかっている日本の家計経済に、これらの直接支払い的な補助金をぶっこんでも、砂漠の中に染み入る水のごとく、家計の中にしみこんでいくのだろう。
しばらくの間は、意図的にポンプアップしても、消費者需要としては顕在化せずに、消費者の先行き見通しがかなりブリッシュなものにならない限り、家計の中に沈潜した地下水として滞留しつづけるのであろう。
これらの罠から脱出できるのは、ビッグ・プッシュ的な政策の施行しかないのだ。
むしろ、今、民主党が志向すべきは、新しい公共事業のスキームなのだろう。
それは、人的なインフラ構築的な、ソフトインフラ構築のための諸策なのだろう。
現在苦境にあえぐ地方の土建業者の出自は、昭和恐慌時の救農土木を元祖とするものである。
それの平成版というのは、人材ソフト多使用型のソフトとハードの入り混じった新公共事業である。
それを、ただ、民間にまかぜるのではなく、官民一体で、そのような新インフラの基礎を立ち上げることが必要のように思えるのだが。