「Avoiding a crash at Copenhagen – How to get negotiations on the right track for a deal」という最近のロンドン・エコノミスト(古い言い方でしょうかね?)の記事が、地球温暖化気候変動交渉関係者の間で話題になっている。
いわばCO2排出主要国が抜けてしまった京都会議の二の舞を避けるためには、どうしたらいいのか?という現実的な提案なのだが、京都会議で実質主導権を握ったEUからすれば、面白くない提案なのかもしれない。
また、「京都議定書は、実のところ、ざる法だった。」(Yet Kyoto, in truth, has no teeth.)などと言い切っているなど、京都議定書の欠点をことごとくあげつらった論評ぶりも、当時の議長国であった日本にとっても、不快さを覚える記事なのかもしれない。
私も京都会議の時には、各国の議員交流的なサブ・セッション的なものには、亡き橋本竜太郎先生らとともに、参加したが、アメリカのいない諸会議は、気の抜けたもののように感じたことは事実である。
米中をはじめとしたCO2排出主要国を、まず、土俵の中に入れることによって、コペンハーゲン議定書こそ、初めて、有効な議定書となるための現実的な提案なのかもしれない。
なお、この記事に対しては、現在時点で、24のコメントが寄せられているが、このコメントを読んで見るのも、面白いかもしれない。
以下は、その話題の記事の全訳である。
以下、翻訳開始
12月にコペンハーゲンで開かれる気候変動会議に向けた外交上のプロセスは、加速化しつつある。
準備会合は、先週、主要経済フォーラムを終え、今週は、国連気候変動サミットとG20、そして、来週はバンコクでのプレ・コペンハーゲン交渉を控えている、といった状況だ。
世界を動かしている人々は、京都議定書に続く協定に同意しようと、かつてないほど、熱を持ってあたっている。
それほど多くのエネルギーが、この、もっとも手に負えない問題の解決に向けられているということは、いいことだ。
(しかし)不幸なことには、そのエネルギーの多くは、間違った方向に向けられている。
京都議定書は、傷ついた協定である。
そして、もし、交渉者たちが、この(京都議定書にかかげられた)指針に、あまりに闇雲に追随しようとすると、世界は、外交上の列車衝突事故のリスクを持つことで終わってしまう。
アメリカ上院でのこう着状態
ここ一年、重大な気候変動を避けようとする努力にむけて、事態は好転してきた。
アメリカでは、オバマ大統領が選出され、下院は、カーボン排出を抑制するためのWaxman-Markey法(H.R.2454 “American Clean Energy and Security Act of 2009 “)を可決した。
日本では、政権交代後の政権が、2020年までに、温暖効果ガスを1990年レベル対比25パーセント削減するマニフェストを作った。
そして、国連サミットでは、中国の胡錦濤国家主席が、2020年までに、GDP1単位当たりのCO2排出量を05年比で大幅削減するよう努力すると約束した。
しかし、この数ヶ月、アメリカにおける政治的進展は、膠着状態にある。
オバマ政権の問題は、つねに、国際条約を承認するかどうか決定する上院にあるようだ。
だが、アメリカ上院は、あまり、そのような承認をしたくないようだ。
京都議定書の取り決めでは、先進国が数値目標に従うことについて国際的に誓うことを要求されたが、その要求は、受け入れられなかった。
アメリカ上院は、ブッシュ前大統領がそれを破棄するかなり以前に、京都議定書は、拒絶されるであろうということを明らかにしていた。
オバマ政権の計画では、コペンハーゲン会議の前に環境が整うように、Waxman-Markey法を成立させる予定であった。
しかし、多くの上院議員は、Waxman-Markey法についても、乗り気ではなく、したがって、仮に成立したとしても、コペンハーゲン会議には、間に合いそうもないようだ。
したがって、この分だと、オバマ政権は、国内法の環境を整えずして、コペンハーゲン会議に臨む羽目となる。
そして、外国人には、受けられられるが、国内の上院には受けられていない数値目標を、引き受けたり、上院には受けられられるが、外国人には、受け入れられない約束ができない羽目となりうる。
そして、コペンハーゲン会議(COP15)の破綻が、来年のWaxman-Markey法そのものの成立を困難なものとさせてしまう。
ここに、これらとは異なった外交路線へと交渉を進めうるオルタナティブがある。
京都会議でのアプローチは、明らかに成功しなかった。
世界の二酸化炭素排出量は、1997年の京都議定書締結後、25パーセント、増加した。
その増加の理由の一部には、森林伐採のような大きな排出源を除外した議定書であったこともあるが、同時に、潜在的な参加者たちが、国際的に義務的な公約を果たすという考え方に、嫌気をさしていたことも、その理由に挙げられる。
オーストラリアは、他の合意ルートを提案していた。
すべての国は、排出削減プログラムについての「国内的スケジュール」を考え出している。
それは、キャップ・アンド・トレードであったり、低炭素規制であったりしている。
先進国も、同様に、それぞれの排出量を削減することを意図しての数値指定をしている。
これらの公約は、国内法の施行となりうるが、国際的な制裁には、支配されえない。
オバマ大統領が、国々がそれぞれの公約の後押しをしうるサミットの必要性を話した時の意図は、おそらく、このことだったのだろう。
アメリカの立法者たちは、これが一番自分たちの趣味に合うことなのだと、気づいたのだろう。
それで、国際的に義務的な公約がされることを恐れている発展途上国に対して、炭素関税を課すことの正当化として、これを利用できると、彼らは思ったのだろう。
このアプローチに対する反対者たちは、もし、目標が国際的に義務的なものでなかったのなら、そして、その数値目標を実施する順守メカニズムがなかったとしたら、いかなる世界的な合意も、権限のないものになってしまう、との不平をもらしている。
しかし、京都議定書も、、実のところは、ざる法だったのである。
京都議定書は、理論上は、遵守メカニズムを持っている。
すなわち、一定のピリオドにおいて、この目標に合うことに失敗した国は、次のピリオドにおいて、さらに多くの削減をすることになっている。
しかし、それは、実行されないであろう。
排出量の最終決算において、カナダは、京都合意でのカナダの排出量削減目標を29パーセント、上回ったが、そのことでカナダは、罰せられることはないであろうと、誰しも、思っている。
また、国際的な義務的合意が、国々を排出量削減に向かわせるために必要不可欠なものであるとも、誰しも、思っていない。
中国は、そのような数値目標に抵抗しているが、その一方で、近年、他のどの国よりも、排出量を、より、おさえるようにしてきている。
そして、外交上の圧力のもとで、条約に調印するよりも、国内法の施行による手段のほうが、より続く可能性がある。
もし、アメリカが、国際的な義務目標を引き受ける準備があるのなら、それはそれでいい。
しかし、多くのアメリカに対する交渉者が、アメリカに対して、国際的な義務目標以外のオルタナティブがないと、主張すると、それは、危険なことだ。
もし、アメリカの上院議員が、アメリカが、勇み足で、押されている、と感じるとしたならば、彼らは、排出削減に、アメリカとして、約束したがらないであろう。
そして、オバマ大統領が、どのような、削減をしたい気持ちにあろうとも、立法者たちによって支持されない約束は、長期的には、続かないであろう。
コペンハーゲン会議までは、そんなに時間がない。
しかし、オルタナティブな軌道を拓く時間は十分あるのだ。
以上翻訳終わり